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2017年 日本の大富豪ランキングTOP10が残した名言集

記事公開日:2017/12/22
最終更新日:2023/10/26
2017年 日本の大富豪ランキングTOP10が残した名言集

「大富豪」…ステキな響きですよね!
誰もが大富豪になれるわけではないけれど、本気で大富豪を目指している人にも、いまより少しでもお金持ちになりたい!と努力している人にとっても参考になるのが「実際に大富豪になった人が大切にしていることは何か?」ということなのではないでしょうか?

今回は、2017年10月にアメリカの経済誌「フォーブス(Forbes)」が発表した世界長者番付のランキングから、日本人の大富豪ランキングTOP10とそれぞれの大富豪が残した名言を、発言の背景に触れながらご紹介します。

※第9~8位は、同列7位が3名いるため欠番となります。

「フォーブス」の世界長者番付から日本人上位10人をピックアップ!

世界有数の経済誌である「フォーブス(Forbes)」は、世界長者番付を筆頭に、インド長者番付、中国長者番付といった国別の長者番付、スポーツ選手長者番付などのほか、America's 100 Best Small Companies(アメリカの小規模企業ランキング100)やAmerica's Best Colleges(アメリカの大学ランキング)など、さまざまな切り口でランキングを行っていることでも有名です。

世界長者番付は、所有する個人資産が10億ドル以上ある個人から王族や独裁者を除いてランキングしたもの。いわゆる「ビリオネア」の一覧といえますね。
2017年、ビリオネアは史上最多となり2,000人を超えました。そのうち、日本人は33人。日本の女性企業家としては初めて、テンプスタッフの創業者である篠原欣子名誉会長がランクインしました。

では、ランキングと名言を見ていきましょう!

【第10位】世界長者番付564位:韓 昌祐/34億ドル(マルハン)

韓 昌祐

画像引用先:株式会社マルハン

韓 昌祐(ハン・チャンウ、日本語読みは「かん しょうゆう」)
パチンコ店グループ「マルハン」の創業者で、現在は代表取締役会長。
韓は、韓国の農家(小作農)に生まれ、1945年10月、14歳のときに戦後の混乱に乗じて船で日本に密入国しています(特別永住者資格を取得後、日本に帰化)。法政大学経済学部を卒業後は、京都で義兄のパチンコ事業を受け継ぎますが、利益を元手に喫茶店やボーリングにも手を広げて失敗。60億円もの借金を抱えてしまいます。韓は借金返済のため、現在の株式会社マルハンを設立してパチンコ事業に本腰を入れて、完済し、関東へも進出を果たします。

略歴からもかなりの苦労人であることがうかがえますが、韓の名言からは、逆境のなかで自分を支えてくれるものを持つことの大切さ、逆境を乗り越える術が見えてきます。

「若いころは貧しかったですからね。なんとか法政大学に入ったものの、まもなく栄養失調でダウンしました。病床で僕を癒してくれたのが、ラジオから流れるクラシック音楽だったのです。以来、とりこになりました」(韓 昌祐)

「世界中どこにでも差別はあります。日本人が韓国人を差別するといいますが、韓国人の中国人差別はどうだ、と訊くんです。それほど韓国では中国人を差別する。世界でチャイナタウンがないのは韓国だけです。差別に打ち勝つ、差別を撥ね返すたったひとつの道は、自分たち自身が教養と見識をもって社会貢献する。これしかないんです」(韓 昌祐)

韓は、パチンコ事業の収益金の1%を地域社会の奉仕に当てるなど、社会貢献にも力を入れています。その姿勢は社員教育にも表れているようです。

「社員教育では善悪を判断する行動基準を教えます。それから人間を大事にすること。たとえば耳の不自由なお客様がいたら、その方のために手話を習うとか、とにかく人に対して優しく親切になるよう教育します。そこから社会への貢献、たとえば店の周りの掃除まで自分からきちんとやるようにすることなどを教えます」(韓 昌祐)

【第7位】世界長者番付522位:永守 重信/36億ドル(日本電産)

※第9~8位は、同列7位が3名いるため欠番となります。

永守 重信

画像引用先:日本電産株式会社

永守 重信は、精密小型モーターの開発・製造で世界一のシェアを持つ日本電産の創業者です。

京都で6人兄弟の末っ子として誕生し、京都市の工業高校を卒業後、東京都小平市にある職業訓練大学校(現:職業能力開発総合大学校)の電気科を首席で卒業。音響機器制作会社ティアック、その子会社である山科精器取締役を経て、卒業から6年後に日本電産株式会社を創業します。

日本電産は、製品開発に力を入れるだけでなく、経営戦略としてM&A(企業の吸収合併)に取り組み、成長してきました。優秀な技術を持ちながら経営不振に陥った企業を次々に買収し子会社化したうえで、最高益を更新すると社名を「日本電産○○」と変更するスタイルが定着しています。

「情熱、熱意、執念」
「知的ハードワーキング」
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」
の3つを経営哲学とし、自身も元日の午前を除いて365日働くほどのハードワーカーぶりでしたが、買収した海外企業が、残業せず、長期休暇を1ヵ月取得しても好業績を挙げている点に着目し、2016年10月に「2020年までに残業ゼロを実現す」と宣言しました。

「休みたいなら、やめればいい」(永守 重信)

「下の人間が動くかどうかは、上の人間次第」(永守 重信)

「改革はすべてトップダウンで行うのが日本電産のやり方。「残業ゼロ」もトップの私が率先することで、会社全体に範を示していく」(永守 重信)

学歴や出自にはこだわらず実力主義で人事を行い、同族経営はしないことを明言していることでも有名で、まだ日本電産が小規模だった頃は、「大声試験」「早飯試験」「マラソン試験」「試験会場先着順」「留年組専用試験」などのユニークな就職試験を行っていました。

【第7位】世界長者番付522位:三木 正浩/36億ドル(ABCマート)

三木 正浩

画像引用先:TBS

三木 正浩は、靴を主とする小売りチェーンを展開するABCマートの創業者。

三木は三重県伊勢市生まれの在日朝鮮人で、朝鮮初級・中級学校、愛知朝鮮学校(高校)と進み、名古屋市立享栄高校へ転校。東邦学園短期大学卒業後は、スクエア・ツー・ジャパンに入社します。3年後に退職し国際貿易商事(現:ABCマート)を設立します。

29歳のときに、ロンドンで目にしたホーキンスのブーツに「これは、日本で売れる!」と目をつけ、単身、ホーキンス本社へ交渉に出向き、独占販売権を得ます。当時のブーツの相場の半額ほどで売り出してヒットさせたことをきっかけに、ABCマートは靴の量販店として全国に広がりました。

2007年に52歳の若さで会長の座を退き、現在は優雅な隠居生活を送っていると思われます。 三木の名言はまだ生まれていないようですが、ホーキンスとの出会いや独占販売権のための交渉術にまつわる格言が期待されますね。

【第7位】世界長者番付522位:伊藤 雅俊/36億ドル(セブン&アイ・ホールディングス)

伊藤 雅俊

画像引用先:ZAKZAK

伊藤 雅俊は、イトーヨーカ堂の創業者で、現:セブン&アイ・ホールディングスの名誉会長であり、主要株主の一人でもあります。あのピーター・ドラッガーとの親交が深かったことでも知られています。

イトーヨーカ堂の前身である「羊華堂洋服店」を営んでいた母と、それを手伝う年の離れた兄の背中を見て育ち、経営の厳しさを知ったといいます。「『お客様は来てくださらないもの』『お取引先は売ってくださらないもの』『銀行は貸してくださらないもの』と考えなさい」という母の教えが、伊藤の経営の基本になったそうで、だからこそ「信用」が大切で何にも代えがたいものだと考えました。

「信用というものの下限は安心感で、上限は期待感だ」(伊藤 雅俊)

「商売とはきびしいもので、一つでも、まずいもの、キズがあったら、お客様は来てくださらない。
商品は売れなくて当たり前、お客様は来てくださらなくて当たり前。
まずここから出発しなくてはならない。」(伊藤 雅俊)

「モノが売れないとかいっているけれど、それは本当の意味でお客様のことを見ていないからではないでしょうか」(伊藤 雅俊)

【第6位】世界長者番付414位:高原 慶一朗/42億ドル(ユニ・チャーム)

高原 慶一朗

画像引用先:unicharm

高原 慶一朗は、生理用品、紙おむつなどの衛生用品の大手メーカーであるユニ・チャームの創業者です。

高原は、1931年愛媛県生まれ。1953年に大阪市立大学商学部を卒業後、関西紙業、城山製紙での勤務を経て、父が経営する国光製紙にて専務を務めたのち独立し、大成化工(現:ユニ・チャーム)を設立します。

ユニ・チャーム株式会社は、生理用品と紙おむつで日本国内のトップシェアで、ベビーケア、フェミニンケア、ヘルスケア関連製品ではアジア1位のシェアを誇ります。もとは建材の製造業が主だったユニ・チャームを衛生用品のトップシェア企業までに育てるまでの、創業者・経営者としての苦労がうかがいしれる名言があります。

「冷たい水に真っ先に飛び込み、率先して泥をかぶる覚悟を決めよ。
その必死で真剣な思いがおのずと人の心を動かし、周囲にも伝わっていく」(高原 慶一朗)

高原の名言は、まさに名言らしい名言で、そのままことわざになってしまいそうな整った文句ばかり。
内容も、ポジティブでありながら、ネガティブな心にも無理なく入ってくるような絶妙な言葉選びです。

「今日の最高は、明日の最低」(高原 慶一朗)

「人は順調なときに真理から遠ざかり、
逆風のときにもっとも真理に近づく」(高原 慶一朗)

「逆境においても他人のせいにしたり、弱音を吐いたりするのではなく、やるべきことをやれ」(高原 慶一朗)

見方を変えれば今すぐにも実践できそうな、こんな名言もあります。

「ほんとうにメモが必要なのは、「ちょっとしたこと」なのである。 そのとき大事だとは思わなかったが、あとで大事だと思えてくる」(高原 慶一朗)

【第5位】世界長者番付385位:森 章/44億ドル(森トラスト)

森 章

画像引用先:東洋経済オンライン

森 章は、不動産業を営む森トラスト・ホールディングスの社長です。六本木ヒルズや表参道ヒルズ、ラフォーレ原宿などの運営で有名な森ビルを創業したのは父の森泰吉郎氏で、父の死後、後継の不和により兄(次男)がトップを努めていた森ビルから1999年に分離・独立しました。

森には、経済学者である森 敬(長男)、現:森ビル株式会社初代社長の森 稔(次男)の2人の兄がおり(いずれも故人)、三男として1936年に生まれました。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、安田信託銀行(現:みずほ信託銀行)に入行。卒業から12年後の1972年、4月に森ビルに入社しています。

ここまで、創業者の名言ばかりをご紹介してきましたが、森はいわば2世。親から受け継いだものに対し、時代に合わせてどのように変化させるかということをテーマにしていたことがうかがえる名言が目立ちます。

「新しいシステムを運用する際は、往々にして経験が邪魔をする場合があります」(森 章)

「日本は経験者を重視してしまう傾向がありますが、機械の進歩は飛躍的に進んでいます。経験や、今あるものから積み上げて発想しても、あっという間に陳腐化したり、時代に不適合となる可能性が高い」(森 章)

「新しいシステムの性能がもたらされる由来を知るより、その性能を何に、どのように活用すると有効な成果を得られるのか発想する力の方が重要」(森 章)

【第4位】世界長者番付250位:三木谷 浩史/58億ドル(楽天)

三木谷 浩史

画像引用先:Twitter

三木谷 浩史は、インターネットショッピングモール「楽天市場」を中心とするインターネットサービスを展開する楽天の創業者であり、現在も代表取締役会長兼社長として経営を担う現役の実業家です。

ライブドア元社長である堀江貴文、サイバーエージェント社長の藤田晋、リキッド・オーディオ・ジャパン元社長の大神田正文、グッドウィル・グループ元会長である折口雅博らとともに「5人の若手起業家」として注目を集めました。

楽天株式会社の前身となるエム・ディー・エムを設立する前にもコンサルティング会社のクリムゾングループを設立したり、独立するまでに努めていた日本興業銀行(現みずほ銀行)では企業金融開発部で国際的なM&Aの斡旋を担当し、孫正義(ソフトバンク)、増田宗昭(TSUTAYA)を顧客に持つなど、すでに頭角を現していました。

名言は、どれもパイオニア精神に富むもので、三木谷が常に未来に目を向けていることが伝わってきます。

「明日、何が起きるかなど、誰にもわからない。それは事実だ。
けれど、その不確定の闇の向こう側に、未来の姿を見る努力なくしては、未来を開くことなどできはしない」(三木谷 浩史)

「この世に不可能なことなどない。
不可能はいつか必ず可能になる。
そう信じることのできる人間がどれだけ出現するかで、人類の未来は変わるのだ」(三木谷 浩史)

「明日のことは誰にも予測できない。
変化を楽しめ。
ひとを信じろ。
未来は、そんな楽天者の上に輝く」(三木谷 浩史)

なかには、三木谷がただ楽天的なだけではないことがわかる名言も。

「意味のない自己顕示欲や、思い上がりは捨てた方がいい。 結局のところ、最終的に成功するのは、謙虚に学べる人なのだ」(三木谷 浩史)

【第3位】世界長者番付102位:滝崎 武光/123億ドル(キーエンス)

キーエンス

画像引用先:株式会社キーエンス

ここからはいよいよ、ベスト3に突入です。

滝崎 武光は、世界44カ国・200拠点で事業を展開するFA(ファクトリー・オートメーション)用センサのメーカーであるキーエンスの創業者。自らがビリオネアに名を連ねるだけでなく、キーエンスは「30代以上の平均年収がもっとも高い会社」ともいわれています。

そのわけは、キーエンスの製品の多くが「世界初」「業界初」だという点にありそうです。世の中にまだない、付加価値の高い製品を生み出すという姿勢が見てとれます。

滝崎は、兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、1974年、29歳のときにキーエンスの前身であるリード電機を設立し、その後、1986年に社名を "Key of Science" に由来する「キーエンス」(KEYENCE) に変更しました。

「顧客の欲しいというモノは創らない」(滝崎 武光)

これは、顧客が欲しいと思う製品のさらに先を行く「潜在ニーズ」まで具現化した製品をつくるという意味であろうと思われます。 また、経営に関する名言も生まれています。

「人件費は経費ではなく、付加価値創造の要素である」(滝崎 武光)

「会社に思い出は不要」(滝崎 武光)

利益とコスト、ビジネスというものをシビアな目で捉えていることがうかがえる名言です。

【第2位】世界長者番付60位:柳井 正/159億ドル(ファーストリテイリング)

柳井 正

画像引用先:PRESIDENT Online

柳井 正は、カジュアル衣料の製造販売「ユニクロ」を中心とする企業グループ「ファーストリテイリング」の代表取締役会長兼社長です。

柳井の父が戦後復員後、兄から小郡商事の繊維・洋服部門を任され、紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げたのがファーストリテイリングの前身となりました。

柳井は、早稲田大学政治経済学部を卒業後、父の勧めでジャスコ(現:イオンリテール)に入社するも、接客が嫌になり9ヶ月で退職してしまいます。その後、実家の小郡商事に入社し、12年後の1984年に小郡商事社長に就任。それまでは紳士服などの男性向け衣料を中心に扱っていましたが、「紳士服の青山」や「アオキ」が業績を伸ばしたため、後発を避けてカジュアル路線へ変更します。カジュアル衣料にこだわった理由は、紳士服販売のような接客を必要としないことも大きかったとか。

きっかけは「接客嫌い」からスタートしたようにも見えるファーストリテイリングですが、会社が大きくなりグローバル化していくなかで経営に関する数々の名言が生まれています。

「経営とは、一番最後から本を読むようなもの。
まずは結論ありきで、最終的に何を求めて経営していくかを決め、
結論に至る方法を考えられる限り考え、いいと思う順から実行する。」(柳井 正)

「新しいことをやってダメだと思ったら、即座に撤退する。
これが、つぶれない秘訣ですね」(柳井 正)

近年は、従業員の労働環境が問題視されたこともありましたが、柳井はそれを急激に訪れた変化が原因だと捉えているようです。 また、グローバル企業として「世界同一賃金」構想を持ち、実現化を進めています。

「海外はこういう方法ということではなく、
グローバルワン、世界中で一つのことをやることが大事」(柳井 正)

【第1位】世界長者番付34位:孫 正義/212億ドル(ソフトバンク)

孫 正義

画像引用先:SoftBank

孫 正義は、ソフトバンクグループの創業者で、ソフトバンクグループ株式会社の代表取締役会長兼社長やソフトバンク株式会社代表取締役会長であるほか、プロ野球・福岡ソフトバンクホークス球団オーナーなども務めています。

孫も在日朝鮮人で、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で生まれ、幼少期を過ごし、差別も経験しています。
高校時代に読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に感化されて脱藩に憧れた孫は、渡米を決意。夏休みを利用してカリフォルニア州に短期の語学留学をします。その後、高校を中退して渡米し、ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校を経て、サンフランシスコセラモンテ高等学校の2年生に編入。3年生、4年生へと飛び級しますが、その間に高校卒業検定試験に合格したため、わずか3週間で退学します。

1977年にカリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入し、在学中にソフトウェア開発会社Unison Worldを設立。日本から輸入したインベーダーゲーム機などを販売します。在学中に結婚もしています。

ここまででもなかなか波乱万丈ですが、さらに日本に帰国したあと、コンピュータ卸売事業のユニソン・ワールドと、日本ソフトバンクを設立します。ところが、1983年、慢性肝炎で入院してしまいます。これが一つの転機になりました。
この時の名言が下記です。

「お金じゃない、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに、貢献できたら幸せだ。どこか、名前も知らない、小さな女の子に“ありがとう”と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」(孫 正義)

1986年に社長職に復帰しますが、療養中の思いが経営を支えたようです。

「私の事業で、例えば世界のどこかの小さな女の子がにっこり微笑む。
そんな一瞬のために業界ナンバー1になりたい」(孫 正義)

「まずはじめに、どこで世界一になるのかの方向性を定めなければいけません」(孫 正義)

「私がこき下ろされるのは構わない。笑われてもいい。
ただ、日本の将来が笑われない様にしなければ」(孫 正義)

孫は、1990年に日本に帰化しています。幼少時代には、在日朝鮮人であることで日本人から差別も受けていた孫。それでも日本人への感謝や思いやりを持てるのは、単に「器が違う」からとはいえないかもしれません。

「親父がつけた名前は、正義。
一生、この名前と付き合ってきていると、
やっぱり、自分の人生のテーマとして曲がったことはできません」(孫 正義)

孫は、東日本大震災の被災者支援と復興資金として個人で100億円を寄付しています。この寄付金は、10年以上の継続支援ができるよう、被災地の子どもたちを中心とした支援のみに100%使われるそうです。

まとめ

どのビリオネアも、名言や経歴からは、逆境から生まれたハングリー精神と仕事愛、人間愛が感じられます。
そして、「お金儲け」は二の次で、顧客や事業、従業員を大切にした結果、個人資産がついてきたかのようにも見えます。
とはいえ、必ずしも崇高でクリーンなだけではなく、泥臭い部分も見え隠れしています。
今は大富豪でも、長い目で見れば通過点であり、この後、ともすれば転落していく人もいるのかもしれません。

誰の人生にも波があり、良いときもあれば苦しいときもあります。
追い風が吹いているときにいかに本質を見失わず、逆風のなかでも自暴自棄にならずになすべきことをなすというのが、もしかしたら大富豪への近道なのかもしれません。
…とはいえ、それが難しいのですが!

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