【目標計画】久保建英の目標は小学生のときに既に固まっていた!ブレずに追いかけたバルサ

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2018年8月16日にJリーグ・横浜マリノスへ2018年12月31日までの期限付き移籍を発表したプロサッカー選手:久保建英は、2001年生まれの17歳。

9歳でバルサ(FCバルセロナ)の下部組織カンテラと契約しましたが、バルサへの入団を目標に掲げたのはわずか6歳のときだったといいます。

今回は、前代未聞の偉業を成した久保建英の目標計画に迫ります。マーケティングにおいても重要な目標計画。久保の目標計画の立て方と達成のための取り組みにヒントを探ってみましょう。

1.久保建英の偉業

画像引用先:https://www.soccer-king.jp

久保建英の偉業は、なんといっても「たった9歳でバルサの下部組織カンテラと契約」に尽きます。本来、カンテラは原則として13歳からしか受け入れをしておらず、あのメッシでさえ入団したのは13歳のときでした。ほかにも輝かしい栄光があるので、ここでまとめてご紹介します。

特に、バルサが認めたのが久保建英の技術と精神力だといいます。プレー中の状況ごとの的確でスピーディな状況判断が評価されたようです。

2.目標計画は18歳でプロ、その後バルサに入団

後述しますが、久保建英は6歳のときにFCバルセロナに入るという目標を持ちました。 この目標を達成するために、親子でブレずに努力を重ねていった結果、9歳での入団という偉業を成し遂げたのだといえます。

ご両親が、どうすればこの目標が達成できるのか考え、リサーチする部分を担いました。そして、バルサに入る一番の近道はバルサの下部組織に入団することだと知り、下部組織に入団するための目標設定をしていきます。

FCバルセロナキャンプに参加し、そこでMVPをとり、スクール生としてトレーニングを受け、国際大会に参加する、そして国際大会でアピールし、入団テストを受ける。

こうした目標計画のもと、バルサが求める選手になるため、バルサに入るための練習を親子でしていったといいます。

3. 2歳で、1年のうち350日はボールを蹴って遊ぶ

繰り返しになりますが、久保建英が偉業を成し遂げた陰には、一番のファンとして見守りサポートしていたご両親の力があります。ご自身も中高とサッカー経験を持つ父親の建史氏によれば、久保建英は2歳の頃から毎朝、父と一緒に近所の公演でボールを蹴るようになったといいます。1年のうち350日以上はボールを蹴っていたというので、雨の中を出かける日もあったでしょう。

この頃は「楽しみながらプレーする」ことを心がけながら、「ボールを運ぶ」「ボールを止める」練習をさせていたそうですが、ただ楽しむだけではなく、「できなかったことができるようになる」「1対1の試合で勝つ喜び」といった成長や勝利の大切さを教えることも忘れなかったようです。また、飽きてしまったときには「もう少し頑張ろう」と声はかけながらも無理強いすることはなかったといいます。

4. 6歳で、「おれ、バルサに入る!」

2歳から5歳までは、そのようにして毎朝、父親とコミュニケーションをとりながらサッカーの基礎練習をしてきた久保建英ですが、6歳になる幼稚園年少組のときに、サッカースクールに入ります。

幼稚園児でスクールに通う子どもは少なかったそうで、小学校1・2年生に混ざってプレーしていたといいます。1~2歳の年の差でも、小さな頃は身体能力が大きく異なるもの。ミニゲームでは、周囲の子たちのスピードについていけず、ボールを触ることすらできないことが続いたとか。

それでも久保建英はサッカーを嫌いになるどころか、将来、プロサッカー選手になることを決意します。ご両親に「おれ、バルサに入る!」と言ったのが、弱冠6歳のときだったといいます。

5. 9歳で、バルサの下部組織カンテラと契約

2009年8月、久保建英は小学2年生で参加したFCバルセロナキャンプでMVPに選ばれました。このイベントは毎年人気で、約300人の子どもたちが集まるのだそうです。参加者のなかから1人がMVPとして選ばれ、スペインに招待されてFCバルセロナのスクールでトレーニングを受けるという特典が容易されています。

久保建英は、見事このチャンスを勝ち取ります。その後、2010年4月、小学3年生のときにFCバルセロナスクール選抜としてソグデソ・ヨーロピアン・ルーサスカップに参加。ここでもMVPに選ばれます。通常、MVPは優勝チームから選出されるところ、このとき久保のチームは3位だったというから、異例の抜擢です。

帰国後は川崎フロンターレの下部組織に入団しますが、2011年8月、FCバルセロナの下部組織カンテラの入団テストに合格し、念願のバルサの一員となりました。

6. 12歳で、18歳の壁に帰国

カンテラでは2013~14年、地中海カップU-12トーナメントで大会得点王とMVPを獲得。リーグ、カタルーニャ杯などのトーナメント制覇にも貢献します。

2014~15年は、13~14歳で構成されるインファンティルAに所属していましたが、FIFAが禁じる18歳未満の外国人選手獲得・登録にFCバルセロナが違反していたことを受け、久保の公式戦出場停止処分が続きました。18歳までの公式戦出場が禁止されたのです。

これまで、ずっと飛び級で上の年齢のチームで活躍してきましたが、18歳という年齢の壁に阻まれてしまった久保は、2015年3月、帰国してFC東京の下部組織に入団しました。

7.今年で18歳、今後の展開に注目が集まる!

日本に戻ると、久保は再び飛び級で上位チームに昇格していきます。2016年には、中学3年で飛び級でFC東京U-18に昇格し、日本クラブユースサッカー選手権に飛び級で出場。大会史上初、中学生で得点王に輝きます。FC東京のトップチームに2種登録され、同年11月にJ3リーグへ出場し、Jリーグ史上最年少記録を塗り替えました。

この年は、U-16日本代表としてAFC U-16選手権にも参加しています。大会得点ランキング2位となる4得点をあげ、FIFA U-17ワールドカップの出場権の獲得に貢献します。同時にU-19日本代表にも飛び級で初選出されています。中学生でのU-19日本代表選出は史上初。U-19アルゼンチン代表との親善試合でU-19代表デビューを果たしています。

2017年になると、J3開幕戦のカターレ富山戦で初の先発フル出場を果たします。J3セレッソ大阪U-23戦では15歳10カ月11日でJリーグ最年少得点を決めました。ルヴァンカップ第4節の北海道コンサドーレ札幌戦で、ついにトップチームデビューを果たします。そして、11月にFC東京とプロ契約を結び、目標より2年前倒しの16歳でプロサッカー選手の夢を叶えました。

2018年は、当初、プロになる目標として掲げていた18歳を迎えた年。期限付きで移籍している横浜F・マリノスでも自身のJ1リーグ初得点を決めるなど、躍進しています。

8.まとめ

久保建英の目標計画は、まず高い目標を設定したうえで、そこへ至る最短ルートをリサーチし、ゴールへ向かう道筋に中小の目標設定を行って、努力していくというスタイルをとっていました。

マーケティングにおける目標計画も、同様にKGIを設定し、これを達成するためにKPIを設定するという方法が効果的であるといわれています。目標設定を行う際、数値化すること、自社の現状やターゲットのペルソナに沿ったものであることは必須です。

FCバルセロナにもっとも近い日本人選手ともいわれる久保建英選手。今後の活躍に注目していきたいですね。

おまけ:大谷翔平が高校時代に立てた目標達成シート

いつも目の前の事柄に追われて本当にやりたいことができていない方、いざ時間が空いたときに何から手をつければいいか悩んでしまう方、

マンダラチャートのマスを埋めることで毎日の生活で必要な要素が明確になるので何をすればいいのかの理解がより具体的になります。

また、マンダラチャートを日常と照らし合わせながら作成することで、日ごろ自分が何に優先事項をおいているのか、時間を割いているのかが見えるようになります。

 

 

>参考:【目標計画】大谷翔平が高校時代に立てた目標達成シート(マンダラチャート)がビジネスでも使える!

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